2018年10月3日水曜日

「いい人=正しい」という誤解

情報の取捨選択の能力が重要な時代になったな、と感じます。
リアルの日常生活ではもちろん、インターネット上には様々な情報があふれていて、信じたら健康、経済的な被害を被るようなエセ情報も沢山あります。
溢れかえる情報の中から、正しい情報を間違った情報を見極める能力が求めらるわけですが、その際に引っかかりがちな罠が、
「いい人が言っていることだから正しいはずだ、信じよう」
というような考え方です。
よくよく考えると当然なんですが、いつの間にか引っかかりがちなこの考え、一体どこから来るのでしょうか?

少し自分の過去の体験談を書きたいと思います。
当時私は東南アジアを旅行していました。東南アジアのような途上国では、ローカルの露店だとお土産を買ったり、時にはご飯を食べるだけでも法外な金額をふっかけられたり、ひどいとグループによる手の込んだ詐欺に遭うこともあります。
そうなって来ると、必然的に関わる人は何かしら悪意があって自分に近づいて来ているのではないか、と考えるようになり、人を見極めるセンサーが日本で生活している時より敏感になります。
こうした感覚は悪意のある人間を見極めるには有効なのですが、逆に、
悪意がある人でない→信頼しても大丈夫
のような単純な思考パターンにはまってしまいます。
そうするとどういうことが起こるかというと、

道に迷って、人の良さそうなおじちゃんに道を尋ねる。

おじちゃんは本当は道がよくわからいけど、
「おれ外国人に話しかけられてる!なんとかして力になりたい!よくわからないけど、多分あっちだろ!」
という思考を経てわからなくても適当に答える。

人のいいおじちゃんを信じて道にさらに迷う。

あのおじちゃんいい人そうだから信じたのにだまされた!

のようになるわけです。
おじちゃんがいい人かどうか、と
正しいこと(道)を言っているか
は全く関連のないことなのだとその時気づきました。

これはツイッターなどのインターネット上の情報でも言えることだと思います。
健康情報、投資情報、災害時の緊急情報、これら全て、
発信者がいい人である=言っていることが正しい
ではありません。
もちろん、そのような「いい人」が悪意を持って偽情報を流していることはないのでしょうが、過失での間違い、というのは誰にでも起こり得ます。
逆に、
人間的にどんなに嫌な奴でも正しいことを言っていることはあり、
嫌な奴=言っていることが間違い、というのも必ずしも正しくありません。

人から情報を得る時は、その人の人間性や人柄を頼りたくなりますが、その人自身がいい人、人間的に素晴らしい人だからと言って言っていることが正しいとは限りません。

いい人だから信じよう、と言って、言っていることをそのまま信じると痛い目に合うことがあります。

そういう時は得てして、
「いい人だと思って信じたのに裏切られた!」
みたいな気持ちになって、お互い不幸になってしまいます。

人柄と情報の信憑性、それぞれ独立した事柄だということをしっかり意識して、情報の審議は各自が自分で考えて判断しましょう。