2017年7月28日金曜日

書き出しながら考えることの意義

考えるときに書き出してみる。

言い古された基本中の基本ですが、改めてその意義を整理してみる。

1. 視覚化することで理解しやすくなる
図などに整理することでモヤモヤしてる事を整理できる


2. 自分の理解が曖昧な部分に気づける
なんとなく考えるのできるけど、いざ書こうとすると、曖昧なままでは言葉にできないので、自分の理解の曖昧さに気づく。


3 脳のキャパシティの節約
考えるときに、脳が覚えておかなきゃいけない事を減らせる。
表、図、一覧などを思い浮かべながら考えるのは大変だけど、
それらを、書き出して頭の外に整理してしまえば、脳を考えることにフル活用できる。


最近改めて実感したので整理してみました。


あーーーー最近考えてばかりで疲れるーーー!

2017年7月27日木曜日

情報収集・分析のためのポイント

最近情報の収集や分析でいろいろ思ったところがあるので、備忘録的に。

1 実現したいことは何か
 ・そもそも何を目的として作業するのか

2 その上での課題は何か?
 ・課題の洗い出し
 ・洗い出した課題の絞り込み

3 課題解決に必要な情報は何か?
 ・どのような情報を集めれば課題解決につながらるか

4 どこから情報をとるか?
 ・ウェブサイト、書籍、ニュース等

5 とった情報をどう解釈するか?
 ・どんな情報を集めたら、どんなことが言えるのか

6 とった情報をどう分析するか
 ・5の解釈に至るまでのデータの料理の仕方

7 分析結果からどう行動するか
 ・出した結論、情報の解釈からどう行動するのか

2017年7月16日日曜日

キレるという行為はただの甘え

突発的な怒り、キレるのは、周りに過度な期待(甘え)があり、自分の想定を超えた事体が起きてテンパッている状態。

周りが自分に都合よく、”こうしてくれるはず”という期待があるので、その通りに現実がいかないときに、とまどっているのと同じ。

朝の通勤時にすれ違いざまに肩がぶつあって舌打ちをするひとは、相手は自分をよけてくれるべきと甘えているから

部下のミスに簡単にキレる上司は、(自分だってミスするのに)部下が完璧に仕事をこなして自分には迷惑かけないべき、と甘えているから


簡単にキレる人は、そういう態度を示すことで周りが気を使って問題を解決してくれるような環境で生きてこれたんだろうな、と思う。


それは、子供が泣き喚けば、親がこどもの不満を解消するよう、問題解決してくれるのと同じ関係で、


恵まれた環境で生きてきてうらやましい、という思いと、

自立できてないことへの哀れみとが混じった思いを相手に感じる。

そんな今日この頃。

失敗したくない、と言う思いに囚われているときはすごい人の失敗談を聞くのが有効

失敗したり、妥協したりすることに対して拒否反応を示してしまうことってたまにある。

特に順調に人生歩んできた人ほど、あるとき自分の思う通りにいかない壁にぶつかると、

こんなはずはない、自分の人生思った通りにうまくいくはずだ!

と現実を受け入れられず、自分の理想にしがみついたまま、泥沼にはまってしまうこともある。

希望の大学に入るために何年も浪人したり、

就職浪人のためわざと留年して、同じ組織の採用に何度も応募したり、

資格試験を何度も受けなおしたり、、、


本当にそれが本人の望むことならいいのだけど、なんとなく、ここまでやってきたのだから後には引けないという、言い方は悪いけど、惰性や思い込みで動いている人も少なからずいるのではないかと思う。

自分自身もそういう何度かそう言う経験をしたので、自分の目標とか希望にこだわりたい気持ちはとてもよく理解できるし、それを手放すことがどれほど辛いかも想像にかたくない。

一方で、いつまでも、こだわりにしがみついていても人生楽しめないし、自分自身もつらいだけなのもまた事実。

じゃあ、どうすれば、そういうこだわりを手放せるか、という話だけど、

自分がすごいと思っている人、尊敬している人に

同じような方向転換、追ってきた目標を諦めた、手放した経験を聞く

というのが経験上有効。


自分が、すごい、と思えるような人でも、過去にそういう苦い経験をしてきたこと、
逆に、目標を諦める、変更を強いられるなどの苦い経験をしてきても、その人のようになれるのだ、ということを知れば、自分が惰性で目標にしがみつくことが、小さく思えてくる。

人生の選択肢はたくさんあって、絶対これじゃなきゃダメ、なんてことはほとんどないのだから。

後悔することの人生における意義

後悔、ってネガティブなワードだけど、結構意義のある感情だよな、と自分ではおもっている。

失敗から学ぶっていうのに近いと思うけど、後悔するから、次から気をつけようと思うわけで、後悔しなければ、同じことを繰り返してしまう。

例えば、石の上に3年、なんて世間で言われるけど、こんなん気にしないで、合わない、とおもったらさっさとやめればいい。

もし、辞めた後に後悔すれば、

あのときは勢いでやめてしまったけど、あそこは踏ん張りどころだった。
今後同じような状態に遭遇したら、そのときは踏ん張ろう

と思える。


これが、決断せずに、

なんか違うんだけど、やめるという決断してダメだったらどうしよう。。。

というところで止まってしまうと、ずーーーっとそこから動けない。

間違った決断だっていい。後悔したっていい。

そのときはそこを糧に、次から踏ん張ればいい話だ。


日本人は、間違いとか失敗とか後悔に潔癖すぎるね。

転職に関して世間で言われていることの実証をしてみる その2

”石の上にも3年”

3年という期間はまあ、キリのいい数字を昔のひとが適当に当てはめたんだろうけど、
いわんとしていることは理解できる。

いっときの感情に流されて、勢いだけでやめると後悔するよ、っていうのもある程度は納得できる。

ただ、この言葉が利用される時の前提はいくつかあると思う。


・他人に押し付けられるものであってはいけない。
雇う側が不条理な労働条件を労働者側に押し付け、それでも逃げられないようにするための言葉であってはならない。

・逆に、ここを乗り切りたい!、という自発的な意思を持った人が、自分自身を鼓舞するときに用いるべき。

・3年、という数字に意味はない。
仕事の中身を自分が十分理解できた、と思えるかが1つのライン。どういう仕事か、を分かった上で、やめるならそれはok



そう考えると、世間で使われている石の上にも三年は、自分の考えだと、ほとんど間違った使われ方してるんじゃないかな。

なんというか、立場の弱い労働者を縛り付けて説教する、みたいな。

くわばらくわばら。。。


転職に関して世間で言われていることの実証をしてみる

転職に関してよく言われていることを自身の経験をもとに振り返ってみる。

”結局楽なところなんてない。大変なのはどこも一緒”

確かに完璧な職場、というのは(ほとんど)ないと思う。

どこの組織、職場でも、

仕事の負荷(質、量)が大きすぎたり
人間関係が大変、職場の人と合わない、なんてことがあったり
給与が希望と合わなかったり・・・

なんてことはよくある話で、全てを満足するようなところを探すのはなかなか難しい。

じゃあ、現状を我慢するのが正しいかというと、それは違うとおもっている。

色々満足できない点、完全じゃない点はどこもあるけど、人によってどこを譲歩できるか、どこは譲れないか、どういう辛さなら乗り越えられるのか、は大きく違う。

なので、自分の考え方やスタンスにあっているところを探していく、というのは非常に合理的だと思う。

絶対合わない、とおもっているのに、我慢し続けるのは、自分にとっても、働いている組織にとってもためにならない。